言葉にならない感情
いつも時間に追われて毎日を過ごしていました。
ひとだんらくをつけ、今日は2012年のコミケやインテへ行った時、いただいたお手紙を読もうと思い至りました(遅くなってすみません。皆さんのお気持ちを、ただ流すように読むのでなく、心のゆとりのあるときにじっくりうけとめたいのでしたので)
はじめはくすぐったかったです。
肉筆のお言葉、心のこもったイラスト。レヴァリアースの復刊のお祝いに好意的で少しずつでも執筆活動をとの、前向きでやさしさとぬくもり。
自分が影響をうけた物語や環境が、すくなからず反映されたと思われる作品です。皆さんが好意的に受けとっていただいているというのは、自分も幼少時代から流れて好意的な、みえないカタチをカタチにできて皆さんにおくれることができたということなのかな。。。?それが今度は、みなさんが好意的に広がってゆければいいなと感じました。
過去受けたありがたみと、受け入れてくださる皆さんに感謝の気持でひろがりました。
いをけっして、復刊レヴァリアース2巻のアンケートを読みました。(この記事も、ココロガマエがないと向き合えなかったので…。ただでさえ、自分の過去の作品は恥ずかしくて読み返すのにしどろもどろしてしまうので)
すると、だんだんとむねがはちきれんばかりの、言葉にならない感情がわいてきました。
うれしい・やさしい・はずかしい・プレッシャー・感動ではない、負の感情でもない、なにか大きなものが。心拍数も上がってきたようです。
少しパニックになり、このかんじょうにあてはまる、言葉を探し本や詩を読んでみましたが、どれも対応すると思われる言葉ではなかったです。まだ、勉強不足です。器が小さいと思いました。。。
横になって、眠ってました。そして、今少し落ち着いたところです。
ひとりでもみじかに、とおくでも、じぶんのさくひんをよろこんでよんでくださるかたがいる。
「執筆している今」は実感がなく、時間をつくって「読者と向きあった今」に、いまさらながら実感がわいてきました。もちろん、イベントでリアルに実感したのですが、文章だと記録が残り体感時間も長いのです。
しかも、じぶんのさくひんなので、じぶんのいちぶとどくしゃのうけとりかたのいちぶでもあり、手紙はいろいろなまなざしをふくんでいます。作品のご意見を読みながら、読者の横顔を読んでいるようです。
この受け取った気持ちを、伝えたいと思いましたが、言葉が見つかりません…。
作品を見つけてくださて、本当にありがとうございます。
今は、その言葉しか見つからず、お伝えしたくなりました。
自分は今日うけとった、言葉にならない感情をなんとか忘れないように、言葉か何かのかたちにできればと思いました。