GW
ゴールデンウィークは、実家に帰りました。
弟家族も帰省して、家族そろって過ごしました。
近くの公園で、家族で遊びました。
Mくんは、父のラジコンカーに夢中で車を走らせてました。Kくんは、公園の山や滑り台にジャングルジムにブランコを、くるくるとはしりめぐり遊んでました。
Kくんのラジコンカーで遊びたいと、リモコンを近所から来た子供に貸したり、ラジコンカーをおいかける知らない子供もやってきて、ほほえましくなりました。
自分「無邪気ですね。子供はすぐに友達になる」
すると、MくんとNくんの母Nさんが
Nさん「大人では、こうはいきませんものね」
子供の成長ははやいもので、Kくんはとくにことばを話せるようになり、言葉で表現するようになってます。
弟とNさんが買い物に出かけるので、自分と両親と子供を見ることになりました。
Kくん、滑り台を外のオウトツの枠からロッククライミングのようによじのぼって、円をえがくようにまわったのち、内側に入って、滑り台にすべらず登る階段で降りてゆきました。
。。。ど、独創的。。。
(これを、母親のNさんに話したら、Kくんは人とは違うしかたで行動するから、心配といってました。自分は、形にこだわらない、自分なりの創造性があって可能性ある子どもに育つと感動したのですが。やはり、生きるためには社会の枠におさまるよう育てねばならないのでしょうね。。。それは、新しいこと、可能性がなくなるということでも。。。)
Kくんが、椅子に座ろうとした時、座りやすいようによせたら、怒ってすねてしまいました。。。
うう。どうすればよかったのだろう。。。
これをのちに母親のNさんに相談すると「今はなんでも自分でやりたいみたいですね。以前はママにしてもらうのがよかったのですが、年齢によって違うみたいです。私も、怒られましたもの」
そうかあ。。。お母さんはあらためて大変だと、感じました。
ブランコから落ちた女の子の子供がいて、母親がなだめてました。
その姿を見て、しみじみ思いました。。。母と子の存在。
ヒトはどうして表情があるのだろう。動物にない涙があるのだろう。どうして、泣くのだろう。その、親子の姿に自分もこういうふうに育ててきてくれたのかと思うと、両親に感謝の気持ちがわいてきて、せつなくなりました。
なにかの本かで知りましたが、学ぶより、子供を育てるほうが数倍難しいと。
わざわざ、帰省する弟と母親のNさんに感謝です。親孝行者です。
ささやかだけど、はやい母の日のカーネーションのプレゼントをしました。
帰り、玄関に大量のゴミがありました。
自営業を営んでいた母の店をたたんだので、家に持ってきているとのことです。
そういえば、こころは世界に落としこめられなかったその他、ゴミ箱のようだとの見方もあるようです。
そういえば、アインシュタインのことばで「机、紙、鉛筆。それと私のすべての間違いを受け止めてくれる、大きなくずかご。(研究に必要なものを尋ねられた時の回答。1935年、プリンストン大学にて)」が、よぎりました。