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2013年4月

φ

最近勉強してきたことが、まとまりそうな、ピントがずれてるような、喉のつかえた感じです…。思考が飛躍しすぎているか。。。思いついたことをメモ。。。

 

・φ(ファイ) 空集合 ←*後から知ったのですが、ファイとは厳密には違うそうです。ノルウェー語のある母音ですが、みんながファイと言っているからファイと言ってるようです。πのパイも同じようなものだと。

元を一切持たない集合
・形而上学的ニヒリズム
無に関する立場の一つ。無は可能か・不可能か、という論点に関して「無であることも可能だった」「何もない事も可能だった」(there might have been nothing)と主張する立場。

 

・平面上のいくら多くの点を集めても面積は生じない。いくら多くの点を集めても線にならないのと同様である。このように点から線や面は作り出せない。
・線を集めても面にならない事が分かる。また、点を集めても線にならない。逆に面の切断として線が生じ、線の切断として点が生じる。

・点の定義は、ビットマップにおけるドットまたは画素を意味すると考えられ、この定義により作図は可能となる。

・図を描いて幾何学を考えても大きく間違わないのは、我々がアナログ画像を見ているように思うのは、脳で作成した画像を見てそう感じるだけであり、元は網膜の視細胞の二次元ビットマップ画像だからである。ただし、現実の世界が本当は連続なのか離散的であるのかは、また別の話であり今でも謎である。ここでの議論は、ただ我々の感覚器官が外界をデジタル化して脳に送るという事と、脳から運動神経への出力もデジタルであるという事である。

 

・ブレーンワールド学説
4次元宇宙は、10次元から見ると、膜のようなもの。

(ミクロとマクロは別の話しであることも念頭に) 

 

・否定の不思議。ないものが、ある。否定において、ぼくたちは、そこにないものを見てとることができる。
・可能性のないところに否定は成り立たない。
「この部屋にパンダがいない」といえる者は、ただ、この部屋にパンダがいる可能性をつかんでいる者だけだ。パンダがいないっていいと思ってる人だけが、「パンダがいない」って言える。
・ことばがないならば可能性ということもない。だから、ことばがないなら否定ということもない。
・現実ベッタリで可能性の世界がないならば、考えるということもない。

(ヒトだからこそ、アキレスと亀の思考実験ができるのだろうか…)
 

・数学に対する世間の人たちの誤解の中でも、数学は真理、とくに宇宙の真理を表していると考えているのは、いちばんの大誤解。
D・ヒュームのように、「算術と代数は絶対的に厳密な学問であるが、幾何学は経験科学であるにもかかわらず、物理的実相とかならずしも一致しないことがありうる。
・数というのは、結果から見ればものの個数とか、長さなどに依存せずに、思惟の上だけで存在する。数を直感的に頼らず、作りあげていく。
・数とは方程式を解くために創造されていった。

 

◯犬の概念を学んでいないその子どもには、まだ犬の相貌が立ち現れていないのである。
なんらかの仕方で「犬」という語の使い方を教え、犬の概念を学ばせる。そうして初めて、その子どもに犬の概念が立ち現れてくる。
◯光には色はない。光は色の感覚を生じさせる力を持っているにすぎない。網膜に写った記憶情報の影をどのようにしてか脳が生み出している。

めろんくりぃむそーだばー

130427

めろんくりぃむそーだばー

意味はない、しかし相貌はある

われわれはあるものを犬の相貌のもとに見る。
そこで、まだ「犬」という語を学んでおらず、犬の概念を所有していない子どもに、「犬」という語の意味をおしえようとして、われわれが見ている犬の相貌にその子も出会わせようとする。
だが、それは無駄なことでしかない。
犬の概念を学んでいないその子どもには、まだ犬の相貌が立ち現れていないのである。
なんらかの仕方で「犬」という語の使い方を教え、犬の概念を学ばせる。そうして初めて、その子どもに犬の概念が立ち現れてくる。

 

ひとつのアナロジーを語ろう。使い方を知らない複雑な機械がある。(略)私にとっては初めてパソコンに触れた時などが、そうだった。
ところが、使い方を覚え使いこないていくうちに、その機械の相貌が変わってくる。
よそよししかったものが、なじんだ感じを帯びるようになり、全体が有機的な連関を持った統一的なものに見えてくる。

概念を所有するとは、それゆえ言葉をしようするとは、パソコンを使いこなすのと同様、ある技術を身につけることである。
あいまいな言い方になってしまうが、相貌とはこうした技術知(Know-how)が対象に投影されたものにほかならない。同様に、犬の相貌とは、「犬」という語をいかに使用すべきかの知識が対象に投影されたものだといえるだろう。
 

どの対象に「犬」という語を適用してよいのか、「犬」という語を含んだ発話によってどういう反応を聞き手に引き起こせると期待してよいのか、そうした言語的な技術知が対象に投影され、その結果その対象は犬の相貌のもとに現れる。
言葉を使う技術、それが世界の相貌を成立させるのである。

 

 -----------------------------

 

以前、犬は犬であって、犬以上でも犬以下でもないと思ってました。
でも、知り合いに「犬派?猫派?」と言われ、疑問に思いました。
どうしてその二択なのだろうと、意味がわかりませんでした。動物はみんな好きなので「両方」と答えました。ちなみに、一緒にいた担当Iさんは「犬は以前追いかけられて、嫌い」と言ってました。
でも、時間が経つにつれ、プロフィールでも犬派猫派など項目があって不思議です。
ペンギン派があってもいいのに。

しかし今は、世界はどのような相貌で期待を込めて質問してるのかわかってきたようなきがします。世間に対し、経験値が足りないです…自分。

新しい自転車

自転車を運転してると、後輪の様子がおかしいので空気が入ってないと思い自転車屋さんに行きました。

 

すると、空気は入ってて、これ以上は入れません。と。
「原因は骨が一本ないですね。何かにぶつかったとかありませんか?」

 

と、言われ心あたりがあるのが日付2011年12月16日の事故です。

それを、店員さんに話すと(うろ覚えだったので、信号のないT路地でお互い止まれなかった)(記録を見ると、本当は自分は止まって、確認して運転したのですが)それは、自分も相手の車に当たったことになるから賠償されてもしかたがないよ、痛み分けですね」と言われました。

最初は、なるほどと思ってたのですが、よくよく考え、記録を見たら、確認して運転したのにもかかわらず、相手が当たってきたのに、痛み分け!?
当時の痛みと悲しみがまたおしよせてきて、当て逃げされた不誠実な人物に対して腹立たしく思う気持ちが湧き上がり、それと同時ににきちんと免許書確認・警察に相談などの手配をする機転…そして、まだこのことでくすぶってるなんて器小さいよと自己嫌悪…。

 

前輪も歪んでいるし、かごもその時に壊れたままで、全部部品を取り替えるなら新しい自転車を買ったほうがいいと思いました。
思い入れがあったのに、こういうカタチで別れるなんて、くやしいです…。

lvsg 魔法音楽大全

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Amazonさんから今日届きました。

レイトン教授VS逆転裁判 魔法音楽大全

ゲームの特典で音楽が何曲か入ってて、とても好みでした。
ゲームから流れるミュージックも重厚感があるのにも繊細で、う~ん…形容する言葉が見つかりませんが、奥深い音楽なんです。3DSの機能をここまで出せるんだって。

それで、予約してCD買ってしまいましたv

 

音楽のある生活って、豊かになります。

哲学の道

明日から、天候が崩れるとのことで、今日のうちに花見を見に京都・哲学の道に行きました。

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桜の見ごろで、観光客が多く、周りで何語を話しているかわからず海外からもおこしになっているんだと感じました。これぞ、日本のほこり。なんて☆
着物姿の方もいらして、おもわずモデルになってシャッター撮りたいです!なんて、ときめきました。

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桜の並木道。空のあおと、桜のぴんく。こころおどります。

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桜アイス

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歩いたので、ひといき休憩。
人が並んでいて、約1時間待ちました。

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京あいす 桜 ・ ほうじ茶みるく

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本を持ってきて読んでましたが、あらためてといいますか。動物は現実ベッタリの世界、
本文『動物たちは「いま、ここ」にすべてを賭けて生きているからこそ、自ら、「永遠の、全体」につながって生きていることができるのかもしれません。』というのを読み、時間というのはヒト独特つくった概念で実存しないのかな。。。なんて、こねてみまして。。。Nの集合をつくり、部分を創りだしていくものなのかな。。。過去・未来なんてヒト科の生存文化なのかな、なんて。ぼうっとしました。

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掛け軸 お店の方にたずねてみたところ、「おもてなし」という意味とのこと。

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帰り道

川の流れに桜の花びらが流れているのを見て、ふと単語がうかびました。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」えと、続きは何だったかなと今wikiで調べたところ「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
iPhoneでムービーを撮りたくなり、起動したところバッテリーが切れてしまいました。。。!☆嗚呼残念。心の目でおさめました。

 

天気もよくて花も満開で、考えていたこともちょっとすすんで、いいお花見をしました。

大阪の朝は寒かったので、春コートを着て行ったのですが、京都の昼はあつくてびっくりしました。春コートを脱いでたのですが、日が沈んだらとたんに寒くなり、やっぱり春コートが必要になって着てきてよかったです。

寒暖差のあるこの季節、体調を崩さないように。。。

言語と世界

生物種としての決定の代わりに、言語によって多様な世界のあり方を持つというのが、ヒトという生き物の特徴です。
これは、ヒトが生物種として安定していないことを示してます。
生物種として安定していれば、種ごとの世界と安定した関わりを持てるのに、そのような確かなつながりが得られないから、言語によって人為的に世界を構築しているのです。
ヒトとされた人工的世界にのみ何とか安住することができる、ということです。

 

ただし、この文化的な人工世界が、ヒトという生き物全体として、自然物的な現実から離れていることを強調するか、それとも同じヒトという種でありながら、個々の文化、個々の社会が異なっている点を強調するべきかでは、見方が別れます。
言語が人間の在り方を規定するという考えのなかでも、それぞれの言語による違いを強調する考えもあります。

 

ソシュールの考えでは、個々の言語による違い以上に、言語が世界を作っているという事実の不思議さに注目したものでした。
私たちは普段、現実の「もの」に人間が名前をつけただけだと考えています。たとえば「イヌ」と呼ばなくても、犬は犬と思ってます。しかしソシュールは、自然の一部を「イヌ」というかたちに区切ってひとつの「もの」にしたのが、そもそも言語であることに注目しました。
言語こそが世界を形作っている。

枠組み

ぼくらは見えない枠にしばられている。
無数の見えない枠組みがなければ生活できない。
考えるっていうことは、そうした見えない枠と戦うことでもある。
それはとても難しい。
それを見えるようにしてくれる力が、人との出会いにある。

自分が常識と思っていたこと、そうして見えない枠として自分をしばっていたこと、それを共有しないひとが現れる。
それが変だと感じることで、はじめて、自分があたりまえだと思っていたことを自覚するようになる。
見えない枠が見えるようになる。

こんなにはっきり目がさめているのに、「夢かもしれない」なんて、妙チキリンなことを言う。
自分の意志でお茶をいれて飲んでるのに、「<自分の意志>って、なんだ。<自分>ってなんだ。<意思>ってなんなんだ」などとダダをこねるようなことを言ったりする。
だけど、こんなことばは、はじめていままで見えていなかった自分の枠組みが見えてくるようになる。
揺さぶられて、考えるようになる。

レヴァリアース シオン

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レヴァリアース シオン

エヴァンゲリオン キャラ表情

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エヴァンゲリオン キャラ表情集

当時の担当さんに、リハビリにキャラクターの表情を描いてみてくださいと申されましたので、エヴァンゲリオンのキャラを見ながら自分なりの絵で描きました。

それに色をつけてみました。

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