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2012年11月

フィルム

121129

これはどういうシーンなんだろう。
めぐりあうのが、たのしみ。

ボーン・アイディンティティ

「ボーン・アイディンティティ」を観ました。

*物語*(Wikipediaより)

銃で撃たれて負傷した男がマルセイユ沖で漁船に救助された。男は記憶を失っており、手がかりは皮膚の下に埋め込まれていたスイス・チューリッヒの銀行口座を示すマイクロカプセルのみ。男はスイスへ向かう。

CIAの『トレッド・ストーン(踏み石)計画』による工作員が某国の政治家ウォンボシ暗殺に失敗し連絡が途絶えた。ウォンボシがマスコミにCIAの暴露本を発表すると発言したことで、CIAは証拠隠滅に動きだした。

記憶喪失の男はスイスへ到着したが、夜の町で警官二人から職務質問を受ける。男は自分でも気付かないうちにドイツ語で受け答えし、警棒を突きつけた警官たちを反射的に叩きのめしてしまい、そのまま逃走する。その後、マイクロカプセルが示した銀行の貸し金庫を引き出すが、その中身は、パリ在住の「ジェイソン・ボーン」という名前が記されたアメリカ合衆国パスポートをはじめとして彼の写真が貼り付けられた多数の偽造パスポート、複数の通貨からなる大量の札束、そして拳銃だった。ボーンは自分の正体を確かめる為に、まずパスポートに記載されていた自分の住所であるフランスのパリへ向かおうとするが、警官を叩きのめした事で手配されており、警官に追跡される。辛うじてアメリカ領事館に逃げ込んだが、現地警察に追われていた彼を、改めて確保しようとした領事館員と争いになり、また格闘となってしまう。領事館詰めの海兵隊員の追跡をかわし、どうにか領事館から逃げ出した彼は、たまたま居合わせたマリーに金を払い、彼女の車に乗って自分が住んでいたアパートのあるパリに向かう。

 

*感想*(注・ネタバレ有り)

ヨーロッパの古い街並みを舞台に、身に迫る得体の知れない危機と、自分が誰なのかわからない不安とに苦悩するキャラクター。

カーチェイスは今まで見たことのない、めまぐるしく、カメラの回転が多く酔います。

ボーンが工作員だっていうのは、パスポートの多さに以前観た「アンノウン」で予想しました。
しかし他と違う、工作員であり、暗殺者であり、CIAの計画が生み出したものとは。
「頭痛はするか?」「俺は一匹狼だ…」

  

コンクリンをつきとめ、彼の口から作戦について聞くと、ボーンの記憶がフラッシュバックし、すべてを思い出す。
ボーンは、政治家を暗殺するための作戦に従事していたのだが、暗殺をする目前、その政治家が子供を抱いていることに気づき、暗殺を躊躇してしまい、作戦が失敗。
これがボーンアイディンティティの始まりであると思います。

組織の一員であり、命令ではあれ、ひとひとりの命を奪うことの意味を子供を持つ親の姿を見て良心が勝ったのでしょう。
ひとは、機械ではありません…。
そのボーンの動揺に、ぼろぼろ泣きました…。

 

最後、CIAからの追跡を逃れ、自由の身となったボーンは、ギリシャでカフェを経営するマリーのもとを訪れ、再会の抱擁を交わす。

マリー「身分証明は?」
ボーン 笑って 「無い」と。
清い。と、思いました。
 

これからマリーと、アイディンティティを形成してゆくことと、祈ります。

 

続編があるとのことで、観ようか迷ってます。

ウォーキング。。。いや、ただの散歩

今年の手帳を見てふりかえり、室内にひきこもっているばかりだったなあ。。。と、思いました。

運動不足で、体がなまけていると思うので、ここはウォーキングなどをして体を動かそうと思いいたりました。

 

木々がさびしげにならんでるのにもかかわらず、休日なので、家族連れ等が多くあそびに緑地公園へ来てました…活気があります。…そしてこすぷれされてるかたも。。。(汗)

 

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美しい紅葉
外国の方が、バックに写真を撮ってました。

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なにの花だろう?いろあざやかな花が咲いてました。

 

ウォーキングどころか、この歩幅はむしろ散歩☆
ゆっくり景色を眺めながら歩いてました。
天気がよく、日差しが心地よく、光合成できました☆

 

家に帰って、身体がほぐれたところで、挿し絵のカラーの表紙にとりかかりました。
表紙なうえに、水彩なのですごく緊張しました。
依頼主さま、気に入っていただけたらいいな。。。

 

しごとおわりのいっぷく(*´ω`*)

121125

ゆっくりでも、身体を動かすのは気持ちいいですね。
太陽さん×2で、散歩ここちよかったです。
時間をみつけて、これからも散歩に出かけたいです。

ことばで言い表せないもの

見え方ってのは、見る位置だけじゃないってことだろ

見え方は体の位置だけじゃなくって、そのひとの体の具合にもよるってことだ
近眼だとか

疲れ目とかさ
色盲ってのもあるな
あと、酔っぱらてたりしても、ちょっと違って見える

見えてるものを伝えて、実は、自分の目の状態を調べてるわけじゃん
たとえば、あっちの、向こうに立ってるあのポプラの木、あれ何本か

三本

うん
それって、あそこがどうなってかっていうことを、ふつうは伝えようとするわけだけど、それで視力もはかれる
<現れ>ってのは、こんなふうに、体の状態に関係してるから、<現れ>を言うことで、体の状態を問題にすることもできる

-<現れ>が視点位置と身体状態の関数になっている-、エプシロンは、そんなふうに言ってもいいと思った

「秩序」って言ったものは、その関数のことだから、<もの>っていうのはその関数のことだと言ってもいい


-<現れ>を左右する入力項
視点の位置と身体の内部状態
ほかには?

 

絵本か?森の絵だけど…

ふふふ
森の絵だけど、森じゃないの

象とか、いる
馬も

木立のある部分が、象の耳をかたどり、枝と枝のすきまが鼻になって伸びている
そこに、象の頭が浮かび出た
「隠し絵」とか「だまし絵」とかいうやつだった

 

えっとね、だから、見え方っていうのは見る位置と体の状態だけじゃなくても、変わるってこと、だよね

ウサギに見えたりアヒルに見えたりする、いわゆる反転図形と呼ばれる図だった

これ、なんて言えばいいのかね
<意味>…かな
意味
違う意味で見えるようになる
森っていう意味しかなかった絵が、象の頭や馬っていう意味で現れる
ウサギっていう意味がアヒルとか、チョキとか、そういう別の意味に反転する

それって、見え方が意味の関数にもなるって、ことだよね

現れは見る位置と体の状態と、それから意味の関数になってるってことだ
それで、茶碗とかの<もの>を、見る位置と体の状態から現れへの関数として捉えることができるとすれば、<もの>ってけっきょく、意味のところをこていして考えた関数だってことか

茶碗とかテーブルとか木とかの<もの>っていういのは、茶碗なら茶碗、木なら木っていう意味が一応定まって固定されてるから、だからそんなふうにみえるってことさ

意味がさだまってなかったら、どうなるの?

どうなるんだろうね
さっぱりわかんねえな
さっきのこれ、この森の絵だってさ、<森>っていう意味を与えなかったらただの抽象画になっちまうだろ
意味がころころ変わったり、何の意味も与えられないんだったら、このテーブルの上も、この部屋も、ただの抽象的な何かなのかね
それとも、…とにかく、ボーゼンとするしかない何か、だよな
もう、<何か>なんていう意味もないだろうし

おんなじものを見てるつもりでも、ずいぶん違って見えている
その鍵は、<意味>ということにある
意味ということをいちばん反映しているのはことばだろう
どんなことばで世界を見ているのか
それによって見え方が、極端な場合にはアヒルからウサギへの反転図形のように、反転する

ぼくらは、どこまで行けるのだろう

でも、ことばってさ、たりないよね

だって、森に行って、森のぜんぶを見てるわけじゃないでしょ
ぜんぶは、ことばにできないもの

だから、ミューちゃん、空の色

言い表せないでしょ

青だけじゃたりないよね

もっとことばにできない微妙な色してる

だけどことばがなくったって、だめだろ

なんで<微妙な>色とか言えるのよ
たとえばタヌキとか、ことばをもってないとするじゃん
そうすると、タヌキにとっては微妙な色もなんもありゃしない
微妙ってのは、青とか赤とかことばをもっていて、そのことばにうまくはまらない、ぜんぜんあてはまらないわけじゃないけど、なんかはみ出てる、そういうもんだろ

ミューは少しタヌキのことを考えいた
タヌキのことはよく分からなかったが、そういうもののような気もした

なんか別のことばを使ってる連中がいてさ、こっちが微妙だって言ってる色をきっぱりこの色って言い表すことばがあって、逆に、こっちがきっぱり青って言ってる色をいわく言いがたい微妙な色と思うかもしれないじゃんか

そうかあ
じゃ、微妙な空の色に見えるっていうのも、ぼくが青とか赤とか、こういうことばで空の色を見てるからなんだね

そういうことなんだろうな
いってみれば、ことばがものさしになってるわけだ

ことばで言い表せないものってのは、ぜったいことばで言い表せないってわけじゃない
ことばがあるからこそ、そのちょっと先にみえてくる

最初はうまく言えないけど、次にことばを見つけて、そしたらまたその先に、いる

ことばで言いあらわしえないもの<語りえないもの>って言ってもいいけど
語りえないものと語りうるものと、きっちり二つに分かれるんじゃなくて、何かをことばで言い表すと、そこには何か言い表しきれないもどかしさみないなのがつきまとうことがある

そのもどかしさっていうのは、そこまでことばで言い表したからこそ、姿を現したものなわけだ
空の色を<青>ってことばでいいあらわそうとするから、それじゃあ言い切れないもんが見えてくる
で、そいつはずっとそのまま言い表せないのかっていうと、たぶんそうじゃない
<透明な深い青>とか言ってみると、そこであらためて色の透明さとか、深さみたいなもんが姿を現して、<透明>ったっていろんな透明があるとか、<色の深さ>って何だとか、ことばは、何かを語ることで、語りきれていないものを影のように差し出してくる
光が影を作るように
そして光だけが影を作るように-

考える

問題にとらえられて、「ヘウレーカ」の呼び声に耳を澄ます。そのとき、ある観察はぜんぜんきみの心に飛び込んでこないけれど、この観察は敏感になったきみの琴線に触れる。かすかな音がする。いける。いけるかもしれない。
観察や論理は問題を解くときにかかせない素材だ。だけど、それを問題に合わせて、捨てたり、選びとったり、つなげたりしていかなくちゃいけない。「ヘウレーカ」の声を待ちながらそんな作業をつづけていく、それが「考える」ってことだ。

できあがった解答なんかを読むと、観察と論理的推論がきちんとつながっていて、いかにも「論理的に考えました」っていう雰囲気をかもしだしている。でも、それにだまされちゃいけない。できあがった解答というのは、たんに、考えた結果を論理的に再構成して表現したものにすぎない。
論理的な推論や計算は、それ自体は考えることじゃない。考えるというのは、そうした推論や計算、あるいはさまざまな観察を、問題解決のもとに取捨選択してうまくつなげることだ。だから、コンピューターがたとえばどれほど複雑な計算にすぐれていたとしても、たとえいまよりもはるかに推論ができるようになったとしても、何のためにそういうことをしているのかがないかぎり、これは考えているのではない。

もしコンピュータが、「なんでわたしはこんな計算をやっているのだろう」、なんて言い始めたら、そのときはコンピュータも考えてるってことになるかもしれない。
逆に、どれほど計算ができなくとも、どれほど推論が苦手でも、どれほど観察力に難があろうとも、問題に向けての緊張が失われないかぎり、ぼくは考えている。なんか、とても、けなげた。

コンピュータには、こういうけなげさって、ないよなあ。

可能性を開くことば

音声言語をもっている動物で、「敵が来た」とか「エサがある」といった文はもっていても、それを切り分けて新たな組み合わせを試すということができない場合には、可能性の世界は開けてこない。
彼らは敵が来たときに「テッキッキー」と言ったり、エサがあるときに「エッサッサー」と言ってたりするとことはしても、それはつまり、現実ベッタリで、可能性を開くことばの力はない。

逆に、音声言語や文字言語をもっていなくとも、現状を切り分け、さまざまな組み合わせを模索する手段になるようなものであれば、身振りでも、将棋の駒でも、はっぱでも、空き缶でも、なんだって「ことば」と言ってよいだろう。それらのことばは、発音言語や文字言語ほど自在に、そして多様にあやつることできないかもしれないけれど、それなりに可能性の言葉を開いてくる。

ことばがなければ可能性はない。
そういいたい。

この状況が全体丸ごと、ドカンと、なんの構造ももたずにあって、それに突き動かせれているのだったら、ただ現実ベッタリに反応しているだけだ。それをパーツに切り分けて、あれこれ組み換えてみるところに可能の世界が開ける。しかも、現物を動かすのではなく、現物の代わりになるもので箱庭的に試してみる。そんな可能性の世界でたわむれるには、どうしたってこどばがなければならない。

可能性がないところに否定は成り立たないじゃないか。
「この部屋にはパンダがいない」と言える者は、ただ、この部屋にパンダがいる可能性を掴んでいる者だけだ。パンダがいたっていいと思ってるひとだけが、「パンダがいない」って言える。

 

否定というのは、可能性と現実のギャップに生じる。だから、現実ベッタリで可能性の世界をもたないものには否定ということもない。すべては「あるがまま」。そして、ことばがないならば可能性ということもない。だから、ことばがないなら否定ということもない。

それで、現実ベッタリで可能性の世界がないならば、考えるということもない。
だから、ことばがなければ考えられない。

イナズマイレブン DVD-BOX 3

イナズマイレブン DVD-BOX 3」が届きました。

いつでもみれるとおもって、まだはじめからみてません。。。☆
お楽しみは未来へ

121103

2012 冬コミ当選

2012年 冬コミの当落通知がきました。

当選いたしました!

夏コミでご迷惑をおかけしたのに…。本当にありがとうございます。今度は以前の教訓をふまえて行いたいたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

コミックマーケット83

12月30日(日)西あ ブロック 67b

 

出品物の予定

夏コミ・夏インテの在庫 本・グッズ(☆レヴァリアース限定版・iPhoneケース・ストラップ・クリアファイルは完売です)

●新刊

レヴァリアース フルカラーイラスト集
マグネットクリップ
フルカラーメモ帳

 

夏はまだふなれなデジタルカラーでした。
詳しい方にレクチャーして挑んでますので、発表を楽しみにしていてください。
手にとって良かったと思えるよう、がんばります。

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